協会功労者

桐竹紋十郎氏(初代会長)1900~1970

文楽の人形遣いとして、ことに女性美の表現ではその華麗さで観客を魅了した昭和を代表する名人。戦後、松竹より独立、文楽三和会を結成。東京の三越劇場を拠点に全国各地に後援会を組織し、公演活動を進める。財団法人文楽協会の設立。人形浄瑠璃文楽座の代表。因習にとらわれず現代人形劇人との交流を積極的にすすめ、日本人形劇人協会設立に文楽座からただひとり参加、本協会の初代会長に就任。協会の基礎を創った功労者。国際人形劇連盟名誉会員。

1970年8月 没



山崎醇之輔氏(初代副会長)~1970

1935年のP.C.L映画から東宝映画に移りその間多くの映画作品に美術監督として活躍、1940年代に結城座出演の人形映画「夜明珠伝」の美術を担当。戦後「童夢人形劇団」を創立。本協会設立に結城雪斎氏と参加、初代副会長を務める。

1970年9月 没



結城雪斎氏(初代副会長)1907~1997

江戸時代始め17世紀半ばにおきた糸操り人形芝居結城孫三郎座の後継者として生まれ、5歳のとき結城一糸の名で初舞台を踏む。1947年、10代目結城孫三郎を襲名。伝統的な演目のほか新作を積極的に取り入れ、舞台形式にも工夫をくわえ、伝統糸操りの現代化を進めた。1957年武智鉄二演出「きりしとほろ上人」で芸術祭賞受賞。1972年孫三郎の名跡を譲り、結城雪斉を名乗る。本協会設立に参加。初代副会長に就任。

国際人形劇連盟名誉会員。

1997年12月 没



川崎プッペ氏(元常任理事)1905~1978

本名/川崎恒夫、彫刻を陽威に氏に師事する。フランス人形制作者、美術家として著名。1934年、独力でマリオネットを作り試演。1941年、落合聡三郎らと「国民人形劇団」を創立。代表作「東条首相の演説」など。戦後1946年人形劇団くるみ座設立に参加。テレビではTBSテレビ「ぴっきいちゃん」の人形美術。文明堂のCMのマリオネットは有名。

本協会設立からの第一期の常任理事を務める。

日本芸能実演団協議会永年功労者表彰受賞



土方浩平氏(元常任理事)1903~1981

1903年、小樽に生まれる。28年、25歳のとき人形劇団テアトル・パンチを結成。32年プロレタリア演劇研究所に入所。俳優、舞台監督として演劇活動を続ける。戦後47年、人形劇団おんどり座を結成。54年より長野県岡谷市に住み、岡谷人形劇場を開設。諏訪地方を中心に長野県各地を巡回。令子夫人と二人の移動人形劇場公演を続ける。戦後、川尻泰司氏らと日本人形劇協議会の設立に尽力。本協会設立より常任理事を努める。

71年、著書「おんどりの歌」(講談社刊)で吉川英治賞受賞。

1981年1月没



藤 泰隆氏(初代理事長)1926~1979

影絵劇団かかし座の創立者。鎌倉アカデミアに学び、テレビにおける影絵の映像美を開拓した。

日本人形劇人協会の設立の発起人であり、設立推進のため尽力した第一の功労者。1964年の準備会、67年の発足から74年まで理事長をつとめる。75年から亡くなる79年まで常任理事。かかし座前代表。

1979年2月 没



川尻泰司氏(前会長)1914~1994

1932年、川尻東次らの「人形クラブ」を継承し、戦後、人形劇団プークを再建。日本の現代人形劇芸術の確立に貢献した最大の功労者。

46年、日本人形劇協議会の設立に尽力。日本人形劇研究所を設立。

60年人形劇のフェスティバル運動を提唱。本協会設立に当たってはその中心となり協会の基礎を築いた。副会長として桐竹会長を補佐し、会長没後、75年、会長に就任、以後亡くなる94年6月まで会長職をつとめる。日本ウニマの創立者であり、世界ウニマ副会長の要職を永年勤め、世界の人形劇の振興と世界ウニマの組織拡大と確立に多大な功績を残す。

人形劇団プーク代表。 

1994年6月 没



上田次郎氏(前副会長)1915~2000

長野県上田市に生まれ、キリスト教神学校に学び、キリスト者として伝道のかたわら子どもたちの楽しみのためと「絵話し」を考案し日本各地の教会子供会、幼稚園、保育園の集いで上演し人気をあつめた。そうした活動をとおして人形劇の道に入る。戦後「劇団ジロー」を結成。舞台、テレビで活躍。協会設立に参加。75年、理事長に就任。人形劇人のテレビ出演、美術制作等の契約改善に尽力。80年、世界ウニマ評議員、88年日本ウニマ功労賞を受賞。副会長を歴任。94年、病により役職を辞任する。名理事長と慕われた本協会中興の人。

2000年5月 没。



森 昌二氏(前常任理事)1927~2001

1946年、劇作家齊田喬氏、小学館役員浅野次郎氏らと劇団童心座を結成。小学館巡回子供会で全国各地を巡回公演、1954年童心座代表となる。59年TBS連続テレビ人形劇「ピッキーちゃん」(美術川崎プッペ)の人形操作を担当。協会設立にあたって藤泰隆氏を支え、設立後は事業部担当役員として「第1回人形劇祭」を組織し、協会活動を軌道に乗せ且つ協会の財政を支えた。聖徳学園短期大学教授、竹早教員養成所講師として教育者の養成に尽力する。93年まで協会常任理事をつとめる。著書「人形劇のバイエル」ほか。

2001年8月 没。